東西南北往来 回流水槽の模型船の如く

岡田克也 イオンの終焉

 

ネット上では怒りの声が大きくなっている。

 

1.立憲民主党岡田克也議員は高市総理の台湾発言を大騒ぎにした。 予算委で台湾有事を異常なまでにしつこく追及し続けた。 今年3月に岡田氏が訪中し、 中国共産党の対外工作トップ・劉建超と直談判していたことが判明。

 

2.立憲民主党が野党だから 大きな批判になってないようだが 国民にとって本当に危険な発言だ。 岡田克也「日中双方に国民感情がコントロールできないような状態を作り出さないように。これは政治の責任でしっかりやっていかなきゃいけない」。言論統制は禁句でしょう。

 

3.イオンは中国に24店舗を出店。先日も中国で新装開店した。日本の小店舗はほとんどシャッターが下りている。一族の為に必死でイオンを守る岡田克也。日本の国益や国防などどうでもいい政治家

 

4.2011年の大震災と東電事故の際、イオンはベクレルフリーの食品と言い、れいわ新選組山本太郎は福島はベクレているなどと言いふらし、低放射線量の不安を煽った。どれだけ被災地を貶めたか、このことは決して忘れない。

 

対策:いい加減に辞めて頂きたい。今後とも立憲民主党は支持しない。イオンでの買い物は控える。

 

 

 

 

 

渡良瀬遊水地

渡良瀬貯水池 西橋と中の島方面

 

渡良瀬遊水地は一度は行ってみたいと思っていた。東京横浜から移動するときは栃木、群馬、埼玉を通過してしまうことが多い。11月下旬に折り畳みできるミニ自転車で輪行した。JR古河駅で下車した。そこから自転車で渡良瀬遊水地は近い。

 

渡良瀬川三国橋

 

渡良瀬遊水地

 

 

渡良瀬貯水池機場

 

渡良瀬貯水池 日光連山を望む

 

渡良瀬貯水池サイクリングロード

 

サイクリングロード

 

渡良瀬川利根川本流に流入する大きな支流だ。渡良瀬遊水地は栃木、群馬、埼玉、3県の境界付近にあって、古河市もすぐ近くなので茨城県も隣接している。

ここに来ているサイクリストのほとんどが一流メーカーのロードバイク(舗装路専用のスポーツ自転車)で、画一的といえばそれまでだが、皆さんのサイクリングウェアのスタイルもバッチリ決まっている。ボクはといえば一時期は自転車でスピード重視のそんなスタイルでしたが、北海道ツーリングにて自転車ではヒグマ被害への懸念があり、数年前からは機動性に魅せられてモーターバイクに移行しましたが、最近では北海道以外では自転車のポタリングも運動になっていいかなと火野正平風の自由なスタイルになってきました。

 

昭和22年9月カスリーン台風の大雨により利根川渡良瀬川の堤防が決壊し、大洪水となった。

 

この付近は昔から大雨があると氾濫することが多く、被害が甚大になるとともに、氾濫原であることから肥沃な土地になっている。そのため洪水がない年には豊作となって地域を潤していた。

しかし、明治時代になって足尾銅山の開発に伴い、上流下流での公害が顕在化し、鉱毒の被害が大きくなった。足尾銅山渡良瀬遊水地の距離は渡良瀬川沿いに進むと約90kmと随分と離れている。田中正造と谷中村の反対運動は公害の原点といわれている。松木村や谷中村は足尾銅山公害で全村上げて移転し廃村となっている。田中正造明治天皇への直訴未遂事件は1901年(明治34年)、渡良瀬遊水地の谷中村が藤岡町に合併されて消滅したのが1906年明治39年)。日露戦争は1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月(日本海大会戦が1905年明治38年5月27日)なので、足尾公害問題は日露の対立と戦争が進行中で世の中には大きな問題として取上げられていなかったと思われる。

迂闊なことに松木村と谷中村は渡良瀬川の上流にあるものだと思い込んでいた。松木村と谷中村の距離は約90km、上流と下流にある。地元の人にとっては渡良瀬遊水地と谷中村は同一で切り離せないものだ。

大水害があると、利根川本流の決壊ももちろんあるが、利根川本流の水位や流速が上昇し、結果的に支流が本流に流入できなくなり、支流の堤防決壊や氾濫が発生する。渡良瀬遊水地渡良瀬川の氾濫調整地としての役割と、足尾銅山鉱毒の沈殿地帯として計画されたようだ。

最近の利根川支流の小貝川の氾濫がある。1986年昭和61年8月4日台風10号による大水害があった。これも本流と支流の合流地点での堤防決壊と氾濫によるものです。

 

渡良瀬遊水地の広大なヨシ原

 

 

 

農学部がイオンに

愛宕上杉通り銀杏

 

旧雨宮キャンパスの守衛所

 

東北大学農学部は既に青葉山へ移転している

この旧雨宮キャンパスは長い間、農学部が使用していた

北四番丁通りは数限りなく通るが隣接する北六番町通りはほとんど行かなかった

いつの間にか農学部イオンモールへと変身していた

 

農学部といえば何年か前のこと

知り合いの先生がいた農学部の研究室に来たことがある

研究会もこのキャンパスで開催された

ボクの研究室の卒業生がここの大学院に進学した

研究会のついでに卒業生に会ったこともある思い出のキャンパスだ

 

もっと昔に遡れば兵庫県の同じ高校から一緒に来た同期生が農学部に所属していた

 

 

 

明善寮跡

 

雄大剛健

 

遥か昔のことだが仙台の大学を受験するきっかけは旺文社のラジオ講座で受験勉強をしたことだ。現在のように予備校や塾に通うことは一般的ではなかった。

東北大の先生だった数学の勝浦捨三先生のラジオ講座が面白かった

その縁で旧制二高への憧れもあった

またラジオ講座では東大地球物理の竹内均先生も良かった

神戸西舞子の自宅2階の部屋でラジオ講座を聞いていた

 

勝浦先生はラジオ講座の合間に各地の旧制高校の寮歌を歌う

遥か東北の旧制二高に憧れがあった

 

受験の行きは開通したばかりの新幹線と東京から在来線特急ひばり

帰りは東京から寝台急行銀河

運良く4月になって再び仙台に来た

仙台駅前からバスに乗って川内の教養部に行くのだが近くに新制の仙台二高がある

驚いたことに時代錯誤かもと下駄ばきの高校生が多数いた

マント姿の伝統が残っていたのだ

思えば遠くに来たもんだと感じ入った

自分一人だけが孤高の島流し感を噛み締めていたと思っていた

後になって兵庫県の明石高校から4人来たことを知った

そのうち3人は3年9組、みんな遥か遠方の東北の地に憧れて来ていたのだ

 

農学部の彼は自転車部をクラブに選んだ

ボクはグライダーに乗れるというので航空部に入った

子供のころから商船高校、商船大学、航空大学校と志望先が変わっていたが選んだのは工学部だった。裸眼視力が良くなかったので、飛行機の操縦に関して入学資格が無くなっていた。クラブにグライダーを選んだのはせめてもの夢の一部に係わっていたかったからだろう。

その後は教養部時代の流転反転、青春の内なる精神の旅は続き、いつの間にか旧制高校や寮歌、船や飛行機の残像も影が薄くなり、原子核原子力、工学への道に誘われるようになった。

 

雄大剛健

 

 

蔵王に冬来る

蔵王エコーライン

11月4日夕刻から来年4月24日まで冬期通行止

頂上付近に雪がある

次回に車で通行出来るのは半年後

蔵王は冬ごもり

 

名残の紅葉見物となった

 

 

 

刈田岳レストハウスは営業終了

御釜名物カツ丼かカレーライスを食べ損なった

仕方ないので持参した携行食でお昼ごはん

 

遠くに山形の朝日連峰

 

 

御釜冬景色

 

 

 

駒草平

 

 

駒草平

 

蔵王不動尊

 

滝見台

 

滝見台付近の紅葉

 

紅葉は中腹地帯に来ている

山の紅葉はもう終わり

これから本格的に冬に入ります

 

https://b.blogmura.com/bike/bike_travel/88_31.gif

 

 

ベア・クライシス

2019年7月 穂高涸沢 涸沢ヒュッテから涸沢小屋を望む

 

日中に熊がキャンプサイトに近づき、涸沢小屋のスタッフが一斗缶をガンガンたたいて熊を追い払おうとしている。熊は後退と前進を繰り返してテントサイトから離れない。それを涸沢ヒュッテのテラスで登山客が生ビールを飲みながら「ほら、あそこにいるぞ」と見つめていた。当日は被害が無かったようだ。冗談じゃあないな。上高地は昔から熊の生息地だそうだが会ったことはなかった。

 

 

2019年7月 穂高涸沢

 

最近は熊の出没が頻繁になっている

里山、人家、市街、仙台や盛岡の市内にも出没し被害が出ている

北海道は以前から市中市外も関係なく被害がある

 

熊が人を殺している

Bear Crisis

ベア・クライシス

連続殺人犯が市中や山中に潜伏しているのと同じだ

もう共存は無理だろう

 

熊といえば遥か昔のこと

東京電力信濃大町高瀬川上流で揚水式発電所のダムを建設していたころなので、もう半世紀以上前のことだ。ボクは単独行(ソロ)で高瀬川沿いに槍ヶ岳北鎌尾根を目指していた。信濃大町から七倉ダムの工事現場まで行き、ロックフィル式の高瀬ダムは工事中で、まだ水を貯めていなかった。その工事現場を遡り、奥へ奥へと延々と歩き、千丈沢と天上沢の合流点、千天出合(せんてんのであい)まで辿り着いて、テントを張った。

 

まわりには誰もいない

自分のテントがひとつだけだ

明日は北鎌尾根から槍ヶ岳だと気が高揚した

夜になり小さなコッヘルで夕食を作り胃につめこんだ

テント内のシュラフに潜り込んで眠りに落ちた

夜中になって、外で何かごそごそ音がするので、目が覚めた

 

何か大型獣の動く音がする

ゾッとする乾いた重量音だ

テントの布1枚を隔てた外のすぐ近くで、ごそごそと物音が続く

私は恐怖で息を止めてシュラフに潜り込んだ

恐怖で体が固まった

息を止めて気配を消す

シュラフの中でまさしく死んだふりをした

外の巨大生物、たぶん熊だ

ボクは気づかれないように息をしなかった

止めた息が苦しい

音がしないように少しずつ息を出し入れする

小さなテントの薄い一枚の布を破って襲われないように息を止めていた

テントの周りを大型獣が動いて漁っている

テントの布を破られたら一巻の終わりだ

なかなか立ち去らない

大型獣の息遣いが聞こえる

この重量感は熊に違いない

かなり長い時間、大型獣は漁り続けた

その夜は一晩眠れなかった

余りに長時間の緊張が続いた

獣の気配が無くなるまで耐えきれないほど長かった

その後は恐怖で意識を失っていたのか覚えていない

ほとんど寝ていない

明け方になって意識を失った

夜が明けても起きられない

 

翌朝は北鎌沢をつめて北鎌尾根から槍ヶ岳に向かう予定だった

もうそんな根気が無くなっていた

あとはフラフラと天上沢から水俣乗越に向かい上高地に辿り着いた

 

槍ヶ岳北鎌尾根敗退の記

Bear Crisis

 

 

これは最近の蔵王

 

 

 

 

月山の黄色 栗駒山の赤

月山の黄色

 

 

月山の黄色

 

 

月山 姥沢リフト

 

 

秋もたけなわ

ついこの前まで30℃越えの日々が続いた

もう最低気温が10℃に近くなってきた

すると秋たけなわと言うところでしょうか

 

過ぎ去りし夏は、体調が優れぬ時もあり

山々の彷徨も思いのたけに歩くこともせず

軟弱と言えば軟弱

余裕綽々といえば余裕綽々

 

この秋の山歩きは、いつものソロではなく

自分で言うのもはばかられますが

カミさんを誘って熟年?カップルの紅葉狩り

 

まあ日頃は簡潔で最小限の単語を繋いでの会話が多いけど

秋の山々をスローペースで歩けば

歩く速度と呼吸の鼓動に合わせて

言葉も紡ぎ出てくる

いつもと違う話題にも言及があると少しは驚き

矛先がこちらに向かう前に月山の黄色もいいねと言い

議論百熱の前に栗駒山の赤もいいねと話題を逸らせる

そうねと頷くカミサンの仙台びいきの宮城びいき

日頃のコミュニケーション不足を少しは補うというもの

 

地元の山と言えばいつもの蔵王

秋の紅葉便りを聞けば栗駒山

足を伸ばせば山形の月山

今年は福島の吾妻連峰にでも行ってみようか

 

ということで、歩く距離は少なめにして

紅葉狩りと洒落てみました

 

印象としては

月山の黄色

栗駒山の赤

 

吾妻は黄色主体

蔵王はいろんな色が

思い起こせば鳴子峡金襴緞子

 

紅葉は植生によって違う

当たり前か

あえて一般論を申せば

沢筋には木や灌木が多く茂り

雑多な木の種類が多いほど色彩に溢れる

山装うとはこのことですね

錦織りなす山の装い

 

月山の黄色

栗駒山の赤

 

栗駒山の赤

 

 

栗駒山の赤

 

 

 

福島県 吾妻小富士

 

 

 

吾妻 浄土平

 

エースのジョー

いつもの吾妻 浄土平

 

吾妻連峰 上部

 

 

吾妻小富士から蔵王連山が見える

 

 

 


味覚の秋 女川

 

 

 

味覚の秋 女川までバイクで買い出しに

 

 

 

蔵王 秋色

 

 

 

 

佐々木朗希 復活!

 

 

 

佐々木朗希が復活した

嬉しいね

 

ドジャースの佐々木投手

今年の春先に故障も重なりマイナーに落ちていた

シーズンもギリギリになってメジャーに復活した

帰ってきた当初は暗中模索で心配した

ポストシーズンではストライクが先行するようになった

ストライクで勝負できる

段々と自信を付けてきた

 

元はと言えば完全試合を達成した投手だ

今日のフィリーズ戦はクローザーとして見事だった

 

佐々木朗希は岩手県陸前高田市の出身

バイクで陸前高田に行った

佐々木朗希の陸前高田 - 東西圧縮回流記

太平洋から日本海 - 東西圧縮回流記

 

石垣島にも行った

キャンプイン朗希現る伸びる球 - 東西圧縮回流記

応援しているよ

 

大谷さんはもちろん

 

佐々木朗希 復活!

嬉しいね