
愛宕上杉通り銀杏
旧雨宮キャンパスの守衛所
東北大学農学部は既に青葉山へ移転している
この旧雨宮キャンパスは長い間、農学部が使用していた
北四番丁通りは数限りなく通るが隣接する北六番町通りはほとんど行かなかった
いつの間にか農学部はイオンモールへと変身していた
農学部といえば何年か前のこと
知り合いの先生がいた農学部の研究室に来たことがある
研究会もこのキャンパスで開催された
ボクの研究室の卒業生がここの大学院に進学した
研究会のついでに卒業生に会ったこともある思い出のキャンパスだ
もっと昔に遡れば兵庫県の同じ高校から一緒に来た同期生が農学部に所属していた


明善寮跡

雄大剛健
遥か昔のことだが仙台の大学を受験するきっかけは旺文社のラジオ講座で受験勉強をしたことだ。現在のように予備校や塾に通うことは一般的ではなかった。
東北大の先生だった数学の勝浦捨三先生のラジオ講座が面白かった
その縁で旧制二高への憧れもあった
またラジオ講座では東大地球物理の竹内均先生も良かった
神戸西舞子の自宅2階の部屋でラジオ講座を聞いていた
勝浦先生はラジオ講座の合間に各地の旧制高校の寮歌を歌う
遥か東北の旧制二高に憧れがあった
受験の行きは開通したばかりの新幹線と東京から在来線特急ひばり
帰りは東京から寝台急行銀河
運良く4月になって再び仙台に来た
仙台駅前からバスに乗って川内の教養部に行くのだが近くに新制の仙台二高がある
驚いたことに時代錯誤かもと下駄ばきの高校生が多数いた
マント姿の伝統が残っていたのだ
思えば遠くに来たもんだと感じ入った
自分一人だけが孤高の島流し感を噛み締めていたと思っていた
後になって兵庫県の明石高校から4人来たことを知った
そのうち3人は3年9組、みんな遥か遠方の東北の地に憧れて来ていたのだ
農学部の彼は自転車部をクラブに選んだ
ボクはグライダーに乗れるというので航空部に入った
子供のころから商船高校、商船大学、航空大学校と志望先が変わっていたが選んだのは工学部だった。裸眼視力が良くなかったので、飛行機の操縦に関して入学資格が無くなっていた。クラブにグライダーを選んだのはせめてもの夢の一部に係わっていたかったからだろう。
その後は教養部時代の流転反転、青春の内なる精神の旅は続き、いつの間にか旧制高校や寮歌、船や飛行機の残像も影が薄くなり、原子核や原子力、工学への道に誘われるようになった。

雄大剛健