東西南北往来 回流水槽の模型船の如く

江戸城と大阪城

 
江戸城 天守閣 模型
 
 

 
 
 

 
江戸城天主台
何回来たかな
 
 
 

 
 
 

 
 
 

 
 

 
江戸城徳川幕府の初期の50年間で3度も火災で焼失し、4度目は天主閣を造らなかった
 
天主閣は火災や落雷で焼失する
 
昔は避雷針がなかった
落雷を防ぐフランクリンの避雷針発明は防災の観点からも大きな進歩だった
 
 
 

 
 
 

 
北桔橋門からの平川濠
竹橋方面から入る
 
 
 
江戸城大手門
 
 

 
 
 
 
 
 
永代通から山手線方面を見る
かつて小生が勤めた会社の本社があった
10階建てのビルは低層で今では高層ビルの谷間のユリのように埋もれそうだ
本社にも何年かは勤務した
プロジェクトで社内を這いずり廻っていた
現在は豊洲に移転している
 
昼休みにこのビルの会社から抜け出して皇居に行った
まじめな社員だったので江戸城天主台跡に行ったのはごくわずか数えるほどだ
 
 
 
現在は雑居ビルになっている
 
 
 
 
OAZOの中には丸善がある
システム手帳の週間予定表はここで買った
 
 
 
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以下は大阪
 
 
 
 
 

 
 

 
大阪城天主閣より南方を望む
 
現在の大阪城豊臣秀吉時代に造った城とは違って、徳川時代に造った城をモデルにして再建したコンクリート製の天主閣だそうだ
 
それでも城内の展示物はほとんどが秀吉のサクセスストーリーだ
現在はどうか知らないが大阪では太閤秀吉の人気は大きかった
徳川の江戸に対する大阪の反骨意識があったのだろう
 
子供のころ、大阪の叔父さんが「太閤はん、太閤はん」と言っていたのを思い出す
 
 
 
 
現在は大阪といえばUSJ
若者と観光客であふれている
年配者はいない
 
 
 
 

 
かつて大阪といえばミナミ新世界の通天閣
ここも観光客でいっぱい
 
ウースターソース2度浸け厳禁の串カツ屋が多数
ジャンジャン横丁の有名な串カツ屋は東洋系観光客の行列で一杯だ
とても並ぶ気がしない
仕方がないので新世界の他の店に行った
 
 
 
王将 村田英雄
作詞:西條八十  作曲:船村徹