東西南北往来 回流水槽の模型船の如く

桜田門外の変

 
 
 
 
幕府大老井伊直弼の暗殺事件
安政7年3月3日(1860年3月24日)
江戸城桜田門外で発生
 
大老井伊直弼安政の大獄尊皇攘夷派を大粛正していた
 
水戸藩脱藩浪士や神官など17名と薩摩藩脱藩1名の尊皇攘夷派計18名が襲撃した
 
時はひな祭りの登城日
新暦では3月下旬なので季節外れの雪が降っていた
天璋院篤姫は城内にいた
 
その後、水戸浪士たち首謀者と襲撃者計20名は討死1名、死去3名、自刃5名、斬首8名、逃亡潜伏の後自刃および死去3名
 
 
王政復古:明治維新は慶応3年12月9日(1868年1月3日)なので
桜田門外の変維新の8年前の事件
この事件を契機に内政も大きく変化している
 
 
江戸幕府が開かれて以来、江戸東京も大きな災害や戦災があった
 
1603年 江戸幕府
江戸の大火 計49件
  1657年 明暦の大火
  1772年 明和の大火
  1806年 文化の大火
1707年 富士山宝永の大噴火
1853年 ペリー来航
1868年 明治維新
1923年 関東大震災
1945年 米軍による東京大空襲
 
江戸東京は大きな災害・戦災など数多くの大被害を受けたが、その度に立ち上がって復興して繁栄を築いてきたので感慨深い
 
 

 
 
 

 
桜田門と言えば警視庁
 
 

 
桜田門から警視庁を見る
 
桜田門外の変の現場は警視庁の右側の桜田濠沿いの路上
 
 

 
 

 
 
 

 
 
 

 
 
 

 
桜田門外の変の現場付近
 
 
 

 
桜田門外の変の現場付近
 

 
 
 
 
 
 
 

 
桜田濠の現場付近
 
 

 
 
地下鉄桜田門駅有楽町線の駅だ
 
ボクの勤務先が豊洲だったときは、自宅から田園都市線半蔵門線を永田町で乗り換え有楽町線で通った
永田町の次駅は桜田門
 
当時は桜田門の地下を数え切れないほど地下鉄で通過した
その頃は桜田門といえば警視庁、桜田門外の変といえば教科書に載っていたという薄い記憶がある程度でそれほど関心が無かった
 
桜田門駅から目的を持って地上に出て付近を散策したのは初めての経験に近い
 
 
 
余談だが昔のこと、有楽町線豊洲まで延伸されていなっかった
豊洲へは新橋駅で降りて都バスに乗って行った
不便で仕方が無かった
新橋駅の近くには勤め人相手のうな丼屋があった
安くてそこそこ良かったのでよく店に入った
あのうな丼屋はまだあるのかな
 
有楽町線豊洲や新木場まで繋がって格段に便利になった
豊洲は工場や造船所からオフィスやショッピング街になった
 
 

 
 
 
 
 
 

 
 
 

 
 
 
 
 
 
愛宕神社の石段
 
 
 
 
 
当初、水戸浪士たち18名は愛宕神社に集結した
ここから桜田門まで行った 約2km 徒歩30分
 
 
8年後、1868年3月13日と14日 
西郷隆盛勝海舟江戸城無血開城の会談は愛宕神社にて行われた